ナンバーワンがコレね
暑いです。特に今年の夏は暑いと元村山総理も言ってます。日本にとって一番重い月、それが8月です。
本日は特に、8月に入ったら日本人として読んでおきたい10冊の本をご紹介してみます。自分はBookLiveですがリンクするのが面倒なのでKindleで紹介です。
目次
1 沈まぬ太陽 山崎豊子
1985年(昭和60年)8月12日羽田空港18時12分発のJAL123便は御巣鷹山に墜落した。坂本九さんもこの事故で亡くなり、日本の独自OS「TRON」の技術者が大勢乗っていて巻き添えになり、世界の趨勢から遅れてしまった・・・無念なり・・そのあとも頑張って家電とかにも使われていたはずのTRON、いまはどうなったんだろう・・
で、この小説は山崎豊子さんの名作。たしかホリエモンも逮捕拘留の時に読んで感動したと言っていたな・・・昔のアメブロ見たら
私がこの作品に興味を持ったのは、ライブドア事件で逮捕される直前の事。JAL123便の事故をフライトレコーダーや航空管制とのやりとりを交えたフラッシュ動画をみてからだった。そして程なくして逮捕勾留。その時に初めて山崎豊子氏の「沈まぬ太陽」を読んだ。涙が止まらなかった。外に出られたら是非慰霊登山をしたい。その私の申し出に登山が趣味の弁護士は同調。実際に保釈後の5月、御巣鷹山に慰霊登山をした。
って書いていた。主人公は実在のモデルがいたといわれるが、作品の中のキャラとはだいぶん違うとかいろいろあるが、あくまでも小説だからいいでしょう。しかし最後の御巣鷹山の処理班に回される部分、あまりにもリアル。会社側の対応とか見ると、そのあとで会社更生法が適用されたのは自然な流れに見えますよ。
2 日本人なら読んでおきたい 村山談話 河野談話 小泉談話
昨日もブログに書いたのですが・・・
もうすぐ安倍さんの戦後70年談話が出ます。その前に村山、河野、小泉の御三方のを読んでおかないと違いがさっぱりわかりません。たったの99円なんで読んでおいて居酒屋でドヤ顔しましょう。村山さんは先日テレビで「世界どこに行っても日本製の武器はないって言った」と自慢そうにいっておられましたが、部品や素材にたくさん使われているはずなのでどうかと・・。
3 終わらざる夏 浅田次郎
浅田次郎の作品には太平洋戦争を描いたものがたくさんあってどれも秀逸であるが、戦記物としてほとんど題材として取り上げられていなかった千島列島の占守島が舞台。ここに孤立して残された関東軍の精鋭部隊。なぜか招集された中年の編集者と歴戦の下士官、そして医師。なんのために彼らはこんなとこに集められたのか・・・
4 あゝ伊号潜水艦 板倉光馬
旧日本海軍には巨大な伊号潜水艦があったのです。原潜が出てくるまで最大級で飛行機も積めました。
板倉さんが乗っておられたのはこの2番艦。華々しい戦記ではなく、補給活動を行ったり沈没の危機を必死に逃れたりと非常に生々しい・・
5 終戦のローレライ 福井 晴敏
映画化された小説ですが、実際はかなりの長編で、非常に面白いです。SFチックな内容ではありますが共感する部分は多くて評価高いです。映画よりずっと面白いといってもいいかも。
6 硫黄島に死す 城山三郎
ロスアンゼルス五輪で愛馬ウラヌスと馬術競技を戦い、列強の騎馬隊の猛者を蹴散らして金メダルを獲得した西中佐。彼の最後の戦いは硫黄島であった・・ほか太平洋戦争の戦記小説をまとめてあります。
7 人間の条件 五味川純平
戦争を描いた小説でナンバーワンはこれだと思います。高校生の時に読んで泣いて、それからずっと読んでいません。電子化されないんですよ。読みたくてたまりないのでAmazonとかにも電子化のリクエスト出したんですが・・・。五味川さんの従軍経験をもとに1300万部も売れた!!大ベストセラーなのに、ブックスタンドなにやってんだ的な!!
8 美ら海、血の海 馳 星周
ハードボイルド作家として有名な馳氏でございますが、沖縄戦の凄惨さを描いたこの作品は、沖縄でナニがあったかを知るためにも絶対に読むべきです。こんな時代に生まれなくて良かったと本当に思います。
9 黒パン俘虜記 胡桃沢 耕史
昭和58年の直木賞受賞。戦後、旧ソ連のシベリアの強制収容所に送られ、極寒の過酷な境遇で強制労働をされられた主人公が、やっとのことで生き延びるという自身の体験を元にした作品。毎日の食事がカチカチで重たい黒パンのかけらとキャベツのスープ少しのみ。その中でも悪い奴らは結託して自分たちだけが生き残ろうとする・・・・
10 大地の子 山崎豊子
すんません。山崎豊子2連発です
日本の敗戦で満州に住んでいた主人公は妹とはぐれ、中国人教師に拾われ、中国人「陸一心」として育てられる。が、その後襲ってくるのが1000万人が殺されたという文化大革命である。日本人ということで収容所に送られ、その中から復活し・・・
この作品を書くときは山崎豊子さんは中国共産党中央委員会の協力を得て三年間も現地取材しており「なにを書いてもいい」とされていたそうな。信じられないでしょう。というのはこのときは胡耀邦(1981年6月29日 – 1982年9月12日)の時代で、このひとはまともな人でした。チベットをはじめて訪れたときにあまりの悲惨さに落涙し、チベットに謝罪して自由化を行ったわけです。
このときが中国の民主化の最大のチャンスだったわけですが、保守派の巻き返しで失脚。山崎豊子さんの取材も非常に厳しく制限されたそうです。そのあとの中国の指導者は厳しく弾圧すると高く評価されるということになって強硬派でずっと来ています。