「肩書きは志」と言っていたのがすとんときています。志として名乗る人と、実績がついてから名乗る人と両方いて、それぞれに尊重する、でもういいのかと。それを「違うだろ」「お前は●●なんかじゃない」っていう人は私とは違う種類の価値観の人なのだと思います。以上です!
— はあちゅう(裏) (@bot_hachu) 2017年4月1日
と、本人は言っているのですが・・・・w
ここで自分も参戦してみたいと思います。
もともとの発端はこんな感じで
はあちゅうさん「私は作家。ライターじゃない」→吉田豪さん「ライター枠の人だと思ってます」
はあちゅうの主張。
【追記しました】私はライターじゃない
書く人ってことで雑にまとめられること多いけど私は作家を名乗っていて、肩書きがライターになってる時は全部修正してもらってる(´ω`)
ざっくりですが
作家→自分の意見を書く
ライター→誰かの意見(自分以外に取材)を書くhttps://t.co/u0zoFJvUFg pic.twitter.com/v1nI0PIrVU
— はあちゅう (@ha_chu) 2017年3月27日
ライターの概念はちょっと違ってるかも。ライターだって自分の意見書くこともあるよ。そういう指定なら。ヨッピー芸が代表です。
吉田さんの意見
肩書問題、「作家→自分の意見を書く」「ライター→誰かの意見(自分以外に取材)を書く」という定義にそもそもズレがあるような気がして、出版業界では「自分の意見を書く→コラムニストやエッセイスト」「作家→小説家」と認識されている気がします。
— 吉田光雄 (@WORLDJAPAN) 2017年3月28日
うーむー。どちらもなんかいいたいことはわかるし、どちらにも正当性はあるように思う。
が、誰も言わないので(とくにはあちゅうは強く否定しているが)自分がいうが、この論争の陰に隠れているのが
Welq事件によるライターの社会的地位暴落
にあるのは間違いないと思われるのです。DeNAをはじめとする、「SEO対策のために網羅しているように見せ掛けているけど実は内容が薄い記事」の大増産のため、クラウドワークスやランサーズなどで1文字0.5円みたいな仕事とは言えない値段の仕事にバイト主婦とかが飛びついたアレです。
以前からアフィリエーターがページを増やすために子供の駄賃みたいな「1記事500円」で書かせたりしていたが、それでライターという仕事の価値が「素人でもできるバイト」という認知になり、「あなたはWEBライターでしょ」と言われることが「あなたはパクリやる人でしょ」というのに近くなってきた感はぬぐえない。だっていままで「ライター」という名刺もって仕事していた人の数より、あきらかにこういうナンチャッテのほうが多くなったでしょう。下手したら数千人以上いるんじゃ?
これはつまり、「コンサルタントです」と、情報商材屋やインチキセミナーの若造(経験0)も自称するために、「コンサルタント」と名乗ることが恥ずかしくなってきている事実と似ている。自分もTwitterとかでどっかの田舎の尾羽うちからしてそうなオッサンに「さすが自称コンサルタント」とかdisされるのだが、そういう時に返す言葉は「あんたの年収の5倍か10倍は稼いでると思うけどな」です。だいたいこれで黙る。ww
それはおいといて自分もナンチャッテが多くなりすぎたので肩書きをコンサルタントから変更したいんですが、なにかいいのがあったらご提案ください。m(_ _)m
で、はあちゅうは、「ライターも作家も上下はない」と言っているのだが、いちばん最初にキレてたのが「読者モライターの一覧にNaverまとめに挙げられていた」点だから、www で、この読モライターというのは
で出てくる造語らしいのだが、そもそもこの造語がおかしいでしょ。読者モデルっていうのはアマチュアです。つまりお金をももらってないはず。「顔出しして文章を書く」のが読モライターならば、芥川賞作家の羽田圭介とか志茂田景樹とか岩井志麻子とか荒俣宏とか室井佑月とか、みんな読モライターとか、読モ作家になる。古くは宅八郎も読モライターだ。
違うよね? 全員読モじゃないよね。モデルならプロ中のプロモデルだよね。
ヨッピーやはあちゅうも文章書くことでお金もらってるわけだから、読モライターではなく、「モデルライター」と言えば良い。それならはあちゅうもカチンとこなくて喜んだのではないか(そこは違う)。宮崎智之さんもいまから「読モライター」の定義を改めないと、勘違いしたNaverまとめでみんなキレます。ww
吉田さんの定義でおかしいとこがある
で、自分の感覚としてははあちゅうに近く
ライターは依頼されて指示された内容に沿って原稿書く人。
作家は好きなことを指示されずに書く人
だと思うんだが、吉田さんは「作家とは小説を書く人」と定義されているが、ここ、違ってると思うんですよ。だって世の中には
ノンフィクション作家
というジャンルが存在するじゃないですか。
家田荘子、開高健、猪瀬直樹、落合信彦、沢木耕太郎、柳田邦男など、そうそうたるノンフィクション作家のみなさまには。吉田さんから「ノンフィクションライターに肩書き変えてください」っていわないとならない。怖ッ!!
大宅壮一ノンフィクション賞があるように、ノンフィクションも文学のひとつであり、小説書くのだけが作家ではないわけであります。
だからはあちゅうも「作家」と名乗って良いのである。どちらかというと彼女の作品は(読んだことはないが)、エッセイに近いのではないか。少なくとも依頼された内容に沿った文章書いてないので「ライターではない」に一票を差し上げたい。
で、そうなると
エッセイストまたは随筆家
としていただくと、我々シモジモはすっとーんと腹落ちするのであります。で、ブロガーは「ブログ書く人」ということで職業ではない。運転することがドライバーだし、ゴルフすることはゴルファーで、サーフィンしてるとサーファーだが、自分は自分の肩書きにサーファーとは書いてません。ww だって金稼いでないもん。
で、はあちゅう様におきましては、文学界の方から若干違和感があると一部で言われている作家という肩書きより、随筆家とかエッセイストのほうがいけてる感じがしてさらに好感度が増すものと思われる次第であります。
日本の著名な随筆家には
北杜夫
野坂昭如
宇野千代
草野心平
田辺聖子
遠藤周作
吉行淳之介
池波正太郎
五木寛之
塩月弥栄子
なだいなだ
さんとかいろいろいらっしゃいまして、彼らの中には小説も書いている方もおられますが、「名随筆家」といえばすぐに浮かんでくるお名前です。
作家という広い範囲でぼんやりしたものより、こっちのほうがウケが良くてしかも「読んでみたい」という気持ちにさせてくれるので、拡販にも役だちます。以上、いらないお世話でした。
4月になりKindleの月替わりセールも入れ替えがあったのですが、面白そうだっのでこれ買った。嫌韓本とかは好きじゃないけど韓国という国の歴史をちょっと知りたくもあり・・・・