先日、テレビを見てましたら「関ジャニの音楽王NO.1決定戦」というのをやっておりました。
物凄い難曲を必死にレーニングしていかに正確に弾きこなすか、それを競う番組です。アメリカのトップピアニストが日本の中学生に負ける波乱がありました。
カラオケバトルというのは見たことありまして、
この右の子はカルビー湖池屋のコマーシャルにも出てますね。
で、わたくしいつも書いていますが、音楽には興味ありません。小学生の時にピアノはソナチネで挫折しました。指が短いものでごめんなさい。家の近所には桐朋学園大学という音楽で有名な大学のキャンパスができ、調布駅の朝はお嬢様たちが楽器抱えて歩いています。日本で間違いなくナンバーワンのオタク大学の電通大が隣でして、電通大の眼鏡かけたいかにもオタクってぽい男の子たちがお嬢様たちを眩しそうに見ていてクスリと来ます。
で、音楽に興味がないわたしがこの番組を見ていて思うのは
正確に歌ったり演奏するだけならAIに勝てるわけないだろう
ということなんでございます。音楽冒涜してますでしょうか。
Facebookに投稿したら賛否両論でなかなか面白い。
正確に演奏したり正確に歌うことは、はたして芸術なのか
ピアノは昔から自動演奏があったという人がいるけど、あれはAIじゃない。単にプログラム通りに弾いているだけです。
でも自動演奏にしたら、少なくともピアノの正確な早弾きではノーミスのはず。人間がかなうわけない。
カラオケにしても、ボーカロイドに正確に音程をプログラムすれば、100.00しかでないでしょう。採点のプログラムを解析して、それと合わせてミスと見なされないように設定すればいいだけでしょ。だからカラオケの採点プログラム作った人がボーカロイドのプログラム書けば100点でしょ。違うの?
芸術というのは「表現力」なわけだから、ミスしないことだけを評価して争うならまったくもって芸術じゃなく、機械に1番近いのは誰かを争うわけなんで、こんな番組に意味あるのかと思ったわけです。むしろ、「正確に歌ったり演奏したりするのが素晴らしい」とかどんな価値観なんだ、その価値観をテレビで一般の人に認知させるのは害でしかないんじゃないのかなと思ったわけですよ。
NCフライスで機械が削った金属に、1番近いように削った職人が凄いとか馬鹿じゃないの。機械ができない0.00何ミリまで正確に削り出すから日本の職人は凄いんじゃなかったっけ。
表現力はAIが分析できるのか
自動演奏とAIは違います。
AIには芸術性や表現力を理解できるのかということになりますが、理解ではなくて分析はできるでしょう。観衆の脳波を測定して、感動を覚えている部分はどこなのかを解析し、強弱やテンポを学ばせて、人が感動しやすいようにプログラムする。性別や年齢、音楽に対しての素養や理解力によっても感動するポイントは違うから、対象の観衆の属性に合わせて演奏したりボーカロイドが歌ったりすることくらいはできるかもしれない。
それにしてもプログラムを組む人にかなり音楽の素養がないとあかんでしょ。AIに絵を描かせたらまだこんな感じ
しかし、無から創り出す、作曲や絵画と違い、元から楽曲があるものを「正確に」「表現力豊かに」演奏するのはAIでもいずれできるんじゃないですかね?
だとすると、「正確に演奏したり歌ったりする」番組は意味がなく、同じ楽曲でいかに感動させるかを観衆の脳波を測定して競うみたいなものでないと、自分は今の時代に全く意味が無いと思うんですよ。カラオケバトルで「アレに出てスターになりたい」と思う小学生が増えていないことを祈りたいです。正確にミスなく歌ってもアーチストにはなれないと思うんですよね。
かつてイカ天という人気番組があったけど、自作の楽曲を歌って観衆がどれだけ感動するかで競う番組とか、手を抜かずに制作してもらいたいです。数値化するのはいいと思うし、売り出したい人に高得点を着けるやらせもなくなるので、観衆がヘッドギア被って脳波測定しながらというのはどうでしょう。これなら日本らしいから許す。ww
で、Amazonがついにまたやりました。自分も契約している月980円のKindle読み放題のUnlimitedに加えて、プライム会員なら読み放題のプライムリーディングというサービスが開始。文藝春秋とかDIMEや女性誌などの雑誌も無料。ベストセラーの本も結構ありまして、こりゃまたAmazonやばすぎます。