ホリエモンの思い出、はるかIT業界の黎明期のこと

2012年7月31日

ホリエモンに最初に会ったのは、当時コラム連載していたビッグコミックスピリッツで「面白いネット系の旗手」を紹介しよう企画でだった。たしか95年とかそんな頃だ。彼はダービースクエアという競馬の予想サイトを趣味でやっていて、これが非常に面白かったのだ。

六本木の古い小さなビルにあった事務所では、まだ大学生だったホリエモンが、生木のミカン箱みたいな本箱(机じゃないの!)に置いたMacでプログラムを書いていた。荷物が乱雑に散らばっていた。隣の部屋にはサーバが何台も積み上げてあり「これはお年玉付き年賀状メールのサービスをするサーバです」と教えてくれたことを覚えている。社員数は当時まだホリエモンいれて3人。つまりはライブドアの前身のオン・ザ・エッヂができたばかりの頃だ。

年は一回り違うがなぜか馬が合い、それからけっこう一緒に仕事をした。あちらはエンジニアなのでバックを担当し、こちらがフロント。最初にやったのは釣りのコミュニティ&コマースで、今で言うSNSのハシリをはじめた訳である。そこで釣具店のコマースのシステムを開発し、1998年に日経BPのECグランプリというのを連名で受賞した。当時月商1000万円いってるショップは殆ど無かったのだ。
翌1999年、ホンダの開発コミュニティで再び日経ECグランプリを連名受賞。この頃、オン・ザ・エッヂは上場する寸前で「永江さんの会社も上場したらいいのに」と言われて欲を出してしまい、連続受賞で出資希望企業が毎日くるもんだから、調子こいて資本金を3億以上に増資。しかしリキッドオーディオ事件でITバブルがはじけてにっちもさっちもいかなくなってエッジ(のちにライブドアになった)にM&Aされることになったのであった。このあたりはもう忘れた(ふり)

なんでこんなことを書いてるかというと、テレビで見るホリエモンと、実像のそれはかなり違うということをちょこっと書いてみたいからだ。雀百まで踊り忘れずというが、人間そのものは年を経ても大きくは変わらない。自分が最初に出会ったホリエモンは、勤勉でワークホリックで、控えめで、しかし非常に頭の回転がいい、オタクの東大休学中の青年だった。ロン毛に汚いジーパンにチェックのシャツを着ていたことまで覚えている。「武田鉄矢カット」といったらちょっとむっとしていたことまで自分は知っている。

マスコミの報道で「ホリエモンは守銭奴」と思っている人が多いが、それは根本的に違うと思う。金銭欲というか、物欲はあまり無かったのではないか。ザッカーバーグは中古のホンダに乗っていたはずだが、ホリエモンが最初に買ったのは確かボロボロのポルシェ928だ。928はV8のFRで当時はスーパー不人気車だったので数十万円くらいだったはずだ。ついでに言うと乗せてもらったけど運転は相当に荒い。

彼について一言言うならば「とんでもない夢を追いかける」人間だということだ。現在はロケットの開発に稼ぎをあらかた注ぎ込んでいるはずだが、これは学生の頃からずっと言っていた。のちに作った話では無く、たしか最初に会ったときもこのことを言っていたのを記憶している。20歳から20年間も同じ夢を突き進んでいる。こんな人間は、自分の周囲には1人もいない。

なんでこんな事を書いているかというと、昨日も書いたのだが
「堀江貴文の早期仮釈放支援の会」に署名をお願いしたいからです。

彼は自分と同じように欠点の多い人間だ。しかし彼は人に夢を与える。彼を嫌う人は多いと思うが、大好きだという人間はもっと多い。頑固一徹なので司法と折り合わず実刑を喰らってしまったが、収監させておくのは日本の損失だと思うのです。そんなわけでみなさん、ご協力ください。彼が次に小説書くときは永江さんをモデルにした登場人物を入れますといっていた。早く読んでみたい気もする。めちゃくちゃ書かれてる予感はあるが・・。

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