マイケル・サンデルのこれからの正義の話を日本にあてはめる

2011年4月17日

震災太りしたと思っていたが実際に体重計にこわごわ乗ったらたいして増えてない。たるんだだけでしょうか? いいえ、誰でも・・涙

さて、最近の大ヒットベストセラーに、マイケル・サンデル博士の「これからの正義の話をしよう」という本があります。わたしも電子本は買って読み ました。ハーバードの哲学の教授で、あまりの面白さにハーバードの教室が満杯。NHKでも授業が放送され、最近は北野武のバラエティにも出ています。

この中に最初に出てくる比喩が、原発即時全停止派と、段階的停止派の論争に非常に似ていると思いました。

◎自分は電車の運転手である。ブレーキが突然壊れた。線路は二股に分かれていて、片方には1人の作業員。片方には3人の作業員がいる。あなたはどちらに電車を向けるか。

この時点では大半の人が「一人のほう」と回答します。多数を救うには少数が犠牲になってもしかたがないという考え方です。原発即時停止派は基本的にこのスタンスですね。経済が犠牲になって、それで多少の死者が出ようが、将来の大きなリスクを回避すべきということですから。

で、次

◎自分は陸橋から電車を見ている。ずっと前に作業員が三人作業しているが、電車はまったく気づいていない。しかし隣にひとりの男がいる。この男を突き落とせば電車は急停止して先の3人は助かる可能性が高い。あなたはどうするか

この質問には、大多数が「突き落とさない」と回答します。落としたからと言って必ず先の3人が100%助かるとは言い切れないし、一番は落とされ る人が承諾していないから殺人になるからです。これが原発は直ちに全停止派はありえない。段階的に停止すべきという人の主張です。

この論争は、哲学的には両方正しいのです。

ただ、考え方の基本スタンスが異なる。つまり設定ですね。原発即時停止派は、即時に停止したときのリスクをがんばればなんとかなるという精神論で乗りきろうとします。しかし将来の大きなリスクは排除しなくてはならないという基本論は正しい。つまり原理主義です。

原発段階的廃止派は、将来のリスクももちろん回避するべきだが、目の前のリスクは優先的に回避すべきという現実論です。

話合ってもなかなか溝が埋まらないのは、つまりは基本設定が違うからではないでしょうか。

——–  おまけ ——————

社民党の福島党首はTwitterで「中部電力の供給量は2000万キロワット以下。発電容量は3240万キロワット。稼動している2基は合わせて240万キロワット。停止をしても供給に問題はないと思う。」と呟きました。 しかし3240kWの中身は水力321万kW、火力2290万kW、原子力500万kW。水力は渇水の夏ならまるで当てにならず通常の稼働率は25%、供給量の認知も間違っていて夏場の最大ピーク電力は2814万kW。最低でも冷夏だった2432万kW。ことしは関東へも援助送電してもらわないといけないので、いま やったら共倒れです・・・・

民主党が政権取って一番分かったこと。

それは「できないことを検証もせずにできる、できるとホラを吹きまくっていた」ということじゃないですか?
本当にできるのか、ホラじゃないのか。我々はもう騙されないということでいろんな政党のいうことを見定めていくことが必要なのかも。

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