いつもおちゃらけで言いたい放題書いてますが、たまには真面目に書いてみます。
お気づきと思いますが特にわたしの口上がきつくなるときがあります。携帯ゲームとかアメーバピグのなんかめちゃきつかった訳ですが、こういう理由があります。本日はその理由を赤裸々に・・・
世の中のビジネスというか「仕事」は大別すると二種あるはずです。
1 相当ともに利益があり、その利益に則って対価が払われるもの
2 片方のみに利益があるもの。つまり片方しか利益を得ないもの
経済学ではそもそも、商業っていうのは有史以前に物々交換から始まったわけです。ギャートルズにも出てきましたが、互いに芋とマンモスの肉とか、欲しい物を交換したわけで、これがビジネスの起源。屋台のたこ焼き屋さんだって200円を貰う代わりにたこ焼きを提供します。必要な物同士を交換するので基本的にWin+Winです。
しかし、人類が進歩するにつれて、2が増えてきました。2が増えると社会的な信用が失墜しますので、法律で「悪いこと」として規制したり、または国家が搾取するために管理したりしはじめます。詐欺師や売人も、本人達にとっては仕事=ビジネスです。泥棒という仕事は当然ながら泥棒側にしかメリットがないので分かりやすいのですが、公営&人気ギャンブルみたいにグレーなものもたくさんあります。
賭博の胴元・・・基本的に胴元しか儲からない。大多数は損をする。公営ギャンブルもパチンコも同じ。ギャンブルで家を建てた人なんていませんよ。宝くじも公営のギャンブルです。
麻薬の売人・・・一時的に快楽を得ても結果は廃人になって貧困に堕ちるだけ
詐欺師・・・・・当然、詐欺師しか得しない。ソーシャル詐欺師も聞きかじった程度の知識で高いお金を取ってセミナーで稼ぐが、客は行っても何も得しない。ほかにもネット詐欺師が横行しているが、自分で自分の略歴に「天才」「権威」「第一人者」と自画自賛するので見分けるのが簡単。小学校の国語で自分で自分自身に尊敬語
これにくわえて「宗教」というのがありますが、実際に心の安定を得られることも非常に多いので、入信者の人格と人生自体を破壊してしまう「カルト」と認定されない限りはお布施や寄付は問題ないわけです。
こうした、片方しか得をしないものは、そもそも世の中になくても誰も困りません。つまり社会に全く貢献してません。かえって停滞させているだけです。
→ココ重要 賭博もヤクの売人も、詐欺師もカルト宗教も、共通していることはひとつ。頭の悪い(もしくは社会経験の乏しい)顧客を選抜し、本当はいらないものを相手にとって必要であると錯覚させ、習慣性をいかにつけて金を搾り取っていくか、です。こうした仕事は卑しい仕事です。クズ拾いで1日500円を稼ぐだけの路上生活のおじいさんだって、人のためになっている。しかしこれらの仕事は何も社会に存在意義がない。
あれ、これって「某ソーシャルゲーム」も同じじゃないの??
いくら高学歴で、燦然と輝く職歴を誇っても、金だけのために頑張って働くって、虚しくないですか???
人間として生まれた以上、少しは人の役に立ち、少しは感謝されて死んでいきたい。どうせ死ぬんだから自分が楽しけりゃいいと思う人は、すでに人間の心を無くしているので、ディケンズのクリスマスキャロルでも読んだ方がいいですよ。いくらお金持っていても死んだらあの世に持ってはいけません。
自分はそれほどビジネスで成功したわけじゃないですが、それでもいつも「顧客満足度」を考えて仕事してきました。仕事を一緒にする以上、相手に利益をもたらせないと自分の存在意義がないと考えてきました。ほとんどの人は同じだと思います。屋台のラーメン屋さんだって一杯500円のラーメンを食べて貰って「旨かった」と言ってもらったときに最高の喜びを感じるはず。顧客の感謝の対価としてお金が支払われ、それで金持ちになるのが順当なビジネスなはず。
粉ミルクに有毒物質混ぜて原価を浮かせたり、下水から油作って売ったりするのは真っ当じゃない。他人の商標やデザインを盗んで儲けるのも真っ当じゃない。他国のことはあれこれ言えるのに、自分のことは分からないのかと思う。
蛇足だが・・。自分だけよければいい、という考え方は、テストで安全性も確認されているのに、全く勉強も知識もないまま単に自分は怖いから瓦礫の受け入れは徹底反対するという人たちにも同様だと思います。こういう人は、被災地の人は瓦礫に埋もれて死ねばいいとでも思ってるのだろうか。
石原慎太郎は右翼で好きじゃないが、瓦礫の受け入れを断行したことは高く評価します。
全面的に同意です。私も、仕事は世の中の役に立ってこそ存在意義がある、と思っております。
そういう考えに立つと、顧客ハメこみ営業で有名な某巨大証券会社とか、インサイダー自己売買で大儲け外資系投資銀行とか寄生虫レベルではないか、と思ったりします。