共産党が政権取ったカンボジアの、たった40年前の話

2019年8月6日

最近、「大企業や富裕層から搾り取って貧乏人に回せ」というポピュリズム的な政党が増えてきたように思います。

いままで世界各国で起きた共産主義革命は最初はそのスタートでした。社会主義と共産主義の違いが分からない人も多いと思うが、Wikipediaによると

通常は憲法などで社会主義を国家理念・国家政策として掲げる共和国であり、単に共産党が政権を担っているだけでは社会主義国とは呼ばれない(キプロス、サンマリノなど)。狭義にはマルクス・レーニン主義を掲げる国家、広義には社会主義的諸政策を推進している国家である。最初の社会主義国家はソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)で、ソ連崩壊後の現在では中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、ベトナム、ラオス、キューバである。

とあります。第2次大戦前は特権支配階級が支配していて労働者や農民が激しく搾取されていた国がたくさんありまして、そもそもマルクスの資本論にもあるように、資本主義が成熟した後に社会主義(共産主義)が実現しうるとしていろいろ理想の社会が考えられていたわけです。

最初はロシア革命、そして中国に広がっていったわけですが、いまでは中国は社会主義でもなんでもない資本主義で共産党の一党独裁なだけだし、北朝鮮は王朝でマルクスの「資本論」は禁書です。だって読んだら北朝鮮は社会主義じゃないってバレちゃうから。マルクスの資本論は大学の時に手を出しかけたがクッソ面白くない学問の本だから挫折した。で、どんなことが書いてあるのかは池上さんのこの本がベスト。

第2次大戦後にあれだけ雨後の竹の子のようにできた共産党独裁の社会主義国家がいまはもう見る陰もないのはどうしてか。
Wikipediaからイラスト借りました。まずかつて社会主義だった国はこんなにある。

このうち今の残ってるのは中国、ベトナム、ラオス、キューバ、北朝鮮だけど中国もベトナムもさっき書いたようにいまや資本主義だし北朝鮮は王朝。なんでこんなに減っちゃったの?

富を分配するのは結局支配者

社会主義国家の基本は「全員が働いたものをいったん国家に納めて、それを国家が平等に分配する」という考え方だったわけ。民主主義だったら分配方法を朝から晩まで代表者たちがあれこれ検討してとてつもない時間がかかる。そんなことはしていられないので共産党がそれを分ける。となると分けるのは人間だから、自分や自分の知り合いにいいように分配する。結果、権力闘争が起きたり特権階級が生まれるわけです。

結果、富の分配を握った共産党が威張り、一党独裁だから不満を持つ分子を厳しく取り締まるようになる。多くの社会主義国家は最初のうちは圧政を受けていた国民は解放されて喜ぶが、そのうちに「あれ。前も酷かったけどいまも酷い」になってきてベルリンの壁崩壊になっちゃうわけです。

特に酷かったのがソ連のスターリンで、彼は共産党党大会で選ばれた委員と委員候補の139人のうち98人を逮捕・銃殺。党大会の代議員も1956人のうち1108人が処刑されました。どれくらい殺されたのか明らかではないのですが、彼の死後の調査で少なくとも800万人が処刑されたといわれてます。ドイツ戦線で大量の戦死者を出したのも、軍の将校を片っ端から処刑したからといわれています。中国でも落ち目の毛沢東が再び権力を握るために文化大革命で1000万人くらいが処刑されて1億人が投獄されたという説があります。

そのあたり、小説だとこれが面白いよ。

キューバはちょっと変わっていてカストロさんが最近まで存命だったということもあるが、子供の卵や牛乳が無料とかいうこともあって幸福度が高い。キューバの社会主義革命についてはまったくのフィクションですが当時のアメリカとの関係が面白くてオススメなのはコレ。このシリーズは全巻持っていて何度も読み返すお気に入りのお気に入り。

経済が弱る

資本主義では企業は個人や株主が所有して利益を出すために頑張る。が、共産主義革命が起きると企業は国が接収して国営企業にします。そうなると儲かるとか儲からないはどうでもいいので、国にとって優先度が高い分野にリソースを投入する。旧ソ連ではミグ戦闘機などの兵器はアメリカと同レベルだったが、スーパーの商品棚はガラガラだしまともな車も作れなくなりました。企業の競争力がなくなるから国際競争でも勝てない。

次にどれだけ働こうがもらえるものが同じになると人間は努力しなくなる。だから生産性が下がる。ソ連ではコルホーズ、ソフホーズという集団農場があったがめっちゃ生産性が下がり、まともに食糧が生産できなくなった。また素人の共産党のいうとおりにやるので、たとえば北朝鮮の金日成が「もっと密集して稲を植えれば生産性が上がる」として指導したため、農民は「そんなことしたら栄養不足と日照不足で育たない」と知っていたが逆らえずにその通りにしたら大凶作になったとかいろいろあります。

ここからが本題です。東欧やソ連や中国も相当なものだったが、我々の身近で一番酷かった国の話をします。

知識階級を皆殺しにしたカンボジアのクメールルージュ


ベトナム戦争で北ベトナムがアメリカに勝つと、周辺の国も次々と社会主義国家になりました。アメリカがベトナム戦争に介入したのはそれを恐れてだったわけです。カンボジアはベトナムとタイとラオスに挟まれたアンコールワットで有名な国です。もともとはベトナムと同じフランスの支配下でした。1953年に独立。


アンコールワットが有名ですね。

悪のアメリカは戦略的にベトナム戦争の最中の1970年にカンボジアに親米派のロン・ノル将軍にクーデターをおこさせ、シアヌーク元首を追放し、クメール共和国を設立させた。ベトナム戦争でアメリカの負けが濃厚になった1975年クメール共和国が打倒され、クメール・ルージュ政権ができました。親玉はポル・ポト。ルージュは赤。日本では赤色クメールといわれてました。1975年といえばまだだったの45年前です。クメール・ルージュは非常に秘匿性が高く、外部に情報は全く漏れてこなかったのです。

仲が良かった中国とソ連がそのあと仲違いをして、ベトナムはソ連派、カンボジアが中国派になったのですが、ついにベトナムはカンボジアからの度重なる侵入に耐えかね、1978年、カンボジアにカンボジアのカンプチア救国民族統一戦線と一緒に侵攻しました。

安室ちゃんが1歳の時だから、まだ最近ですよね

ベトナム戦争の歴戦の勝者ベトナムも、そこでとんでもないものを見ます。カンボジアの国土全体が死体の山だったのです。地面を掘るといくらでも累々と白骨が出てきました。


こちらに書いてあるのが分かりやすい。

ポル・ポトが共産党を率いて政権を取った3年間で、殺した人数は100万人(300万という説もあり)、当時のカンボジアは人口600万ですから、6人に1人、場合によっては国民の半数が虐殺されていたわけです。映画にもなっています。

カンボジアで何があったのか・・・・

政権を取ったポル・ポトは最初に大都市プノンペンから市民200万人を追い出して農村で強制労働させました。都市部には富裕層や知識層がいましたが、彼らは敵だったので徹底的に虐殺が始まりました。原始共産制をとったので貨幣も禁止、病院も学校もなくなりました。「物事を知り、自分の頭で考える人間は共産主義の敵」と考えたのです。支配には洗脳しやすい無教養の人間がいいからですね。

そして読み書きができる人間もいなくなった

知識階級はすべて殺され、医者も教師もいなくなりました。エンジニアも農業に詳しい研究者も技術者もいなくなったので経済どころか食糧難になりました。その後、ベトナム撤退後には内戦が続き、1991年に国連がはいって総選挙を行い、シアヌーク殿下による立憲君主制だが選挙で首相もいる国になったのです。

しかし知識階級がすべて殺されていたため、復興は遅々として進まず、貧困率も非常に高いです。一人当たりのGDPは1,080ドルであり、世界平均の10%に満たないほど。国の人口の最大半分を殺しまくったのですから当然ですよね。

共産党独裁による社会主義は世界中でいろんな深い爪痕を残しました。日本ではどうかというと、山本太郎を支援している中核派は「革命的共産主義者同盟全国委員会」というのが正式名称で、「暴力革命」つまり、暴力による共産党革命を掲げている団体です。

2009年の綱領草案では、目的は「資本主義・帝国主義の完全打倒=プロレタリア世界革命の完遂と階級社会の廃止、真の人間的な共同社会=共産主義社会の建設」とした。現在の帝国主義は、反革命に転落したスターリン主義の裏切りと補完により延命しており、国家独占資本主義政策や新自由主義政策は「最後のあがき」とする。このため労働者階級は暴力革命であるプロレタリア革命と、プロレタリアート独裁の国家樹立が必要で、そのためには非合法・非公然でマルクス主義の「世界単一の労働者階級の党」が必要であるとして、日本帝国主義打倒、天皇制粉砕、アメリカ帝国主義打倒、中国スターリン主義打倒、などを主張する

当然ながら公安の監視下にあります。彼らが政権を取ることはないとは思いますが、「富裕層や知識階級から富を没収して貧困層に配布する」という目標を掲げていた共産党が、政権を取るやいなや独裁の弾圧者に変わったことくらいは知った上で、共感したほうがいいと思いますよと書いて本日のエントリーを終わります。ちなみに日本共産党は1955年に武装闘争路線の放棄を決議してます。

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