いままで生きてきて最高に残念だった2点

2013年1月16日

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本日もどうでもいい話ですいません。

人生ってふと振り替えると、「ああ、残念だ」と思い当たることがよくあります。中学生の時に好きだったあの子が同窓会の時に実は向こうもこちらの事が好きだったと分かったとき。しかし追い打ちをかけるように、相手の体積が倍加していたりしたときは、さらに残念度が増すのであります。あ、向こうも同じか。

今年の正月、自分にとって残念だったと思い当たることが2つあり、ブログのネタが切れたときはこれを書こうと思いました。なので本日はコレです。

昨年、灘中で同級だった尾上教授が担当している武蔵大学のマーケティングのゼミでお話する機会がありました。何度もネタにしているようにわたくし、灘中は1年で素行不良で退学となり、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」を地でいってるわけですが、尾上先生はしっかりと学問の道を進んでおられましたぞ。

念のため、「車輪の下」ってこれだから。

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んで、当時の昔話に花が咲いたわけです。実はわたくしが灘を退学になった理由ですが、小学校までは秀才だのなんだの言われてましたけど、入ってみたら自分は勉強じゃかなわないという人間がおりまして、合理的な脳を誇る自分は「アイデアでは勝てても勉強じゃ勝てない」と分かって一気に勉強に対してやる気を無くして悪に走りました。
この、絶対勝てないと思わせたのが、岡山の過疎地から入学してきたS君でございました。運動神経もよく野球が得意。中一にしてアンプを設計して基盤から作って組んでました。1日2時間くらいは勉強するのですがそれで成績はシングル。余談ですが灘は中一で中三までの教科書を終わって中2から高校の教科書になるのです。凄く大変。

で、S君の実家は小学校が数人くらいしかおらず、父上は診療所のお医者さん。駅から車で山道を数時間かかるということでしたが、途中で狸をはねてしまい、それを車に積んで家で鍋にしたという話を聞いてびびりました。で、わたくし、こいつは絶対東大の医学部に行って医者になるなと睨んでいました。しかもアンプを設計して作ってるから手先が細かい。外科医最高です。自分が手術になったら昔のコネでなんとか頼ろうと思っていたので、尾上先生に「S君でどうした?」と聞きましたぜ。

「S君!? 彼とは仲良くて、昔バンド組んでたよ」
「ええーっ、彼、そのあとどうなった」

「東大の医学部行ったよ」
や・・・やったぁ、俺の目に狂い無し!!

「やった。おれ、昔からS君になんかあったら頼もうと思ってたんだ」

「えっと・・残念だけど、永江君には必要ないんじゃないかな」
「??」

S君の専門は精神科だそうです。

 

続いて次の話題いきます。
昔、自分で会社をやっていたとき、つまりライブドアにM&Aされる前ですが、当時思いついたアイデアでこういうサービスをやってみました。たしか2000年にサービス開始。

サーチ☆ミシュラン

当時はまだミシュランは日本に上陸してなかったはずだし、調べたらネットサービスジャンルの登録商標も無かったので勝手に使いました(汗)。さきほどぐぐったらまだカスみたいなのがネットに残っていました。このサービスをひと言でいいますと、当時はまだYahoo!のディレクトリが全盛期でございましたが、このサービスでは登録したサイトを第三者が「いい」と評価すると表示順が上がっていくものでございました。形状は分野別のディレクトリでしたが・・・

ふと気づいたら・・・それって今のGoogleの考え方じゃん!!
Googleは2000年の9月にサービス開始だから、同時かちょっと前くらいだ。まだ当時は検索結果を出すだけで、いまのように「第三者の評価の高いものを上に出す」という考え方にはなっていなかったのか、それともなっていたかは全く知りません。

この、サーチ☆ミシュラン、物凄い登録が増えて一気にサーバ落ちが続いて資金繰りを圧迫したので結局やめてしまいましたが、技術力と資金力があったら自分もラリー・ペイジみたいになっていたかなと考え、いや、やっぱ無理だろという結論に達しました。

そんなわけで、いまやってるのは「残念な結果」にならないように頑張りたいと思います。

 

 

 

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