経営していたスプートニクという会社がライブドアに買収されたのがたしか2002年の夏。そしてそこで3年間ご奉公し、ライブドア事件の半年前2005年の秋に「さすがにヤバイな・・・」と思って辞めました。マスコミでも有名になったみ○うちさんは、入ったときから「この人、まともじゃない」と思ったので、役員とかはありがたく辞退させて頂き、一兵卒で3年間在籍しました。給料分はちゃんと稼いで返しました(と、思う・・)。
私的にはほりえもんには感謝しております。企業経営者としてかぶっていた多額の負債もかぶってもらい、晴れて自由の身になれたわけです。もっともわたしの会社はちゃっかり某企業に売却され、そこでかなり利益が出たようです。資本金が大きいけど、債務超過に陥っていない会社は、使い道があるらしい(このあたり詳しくない)。しかしそのおかげでライブドア事件のあと、家の前で日経新聞とテレビ東京の記者がハイヤーで待っていたのには参りました・・・。毎日新聞の夕刊一面には↑の件でデタラメ書かれました。1回も取材に来ないでよく書けるわ、デタラメを。それからは毎日新聞は絶対読みません。
しかし、自分の思いを込めた会社がライブドアに買収されてしまうと、なんだか呆けてしまいました。それまではけっこうイケイケで講演会とかばんばんやっていたんですが、まったく無気力。ぽわわーん、って感じで。それでもライブドア時代から私だけは副業が認められていたし、辞めてからもコンサル案件はけっこう来たので、地味に生きていくぶんには食うには困らず(社長やっていたときよりずっと楽だし)、大好物の波乗りの合間に仕事するという感じでした。いくつかの会社にも誘われたし、昔の社員から一緒にまたやりましょうとも言ってもらいました。果ては上場企業の新設子会社の社長やれとも言われましたが。会社経営の辛さとか、きつさが染みこんでいて、もう一回やるのはなぁ・・・と、辞退していたわけです。
でもまあ、食っていくためにはやることはしっかりやりまして、そのひとつが全米第2位(というか世界第2位)のサーフボードメーカーの日本の市場を拡大したいという要望にお応えして、商品開発からマーケッターの目線でやりまして、4年前の販売本数の5倍以上に持っていきました。いまじゃ日本のシェアナンバーワンです。超大手化粧品会社の通販の仕事とか、いろいろしましたよ。はい。
このまま好きな仕事だけちょこちょこやって、半隠居生活でもいいかなと思ってたわけですが、、またまたムクムクと仕事意欲が湧き始めたきっかけが、この「電子書籍ブーム」ですね。
まるで、ベッコアメが個人向けのネット接続サービスをはじめたあと、光通信が「誰でもドメインとってホームページ(と、当時は言っていたなぁ)作ったら儲かります」なんてことで営業しまくってクレイフィッシュの株価が暴騰したときのようです。実際にはそんなわけもなく、数年でネットバブルは崩壊して、わたしもそのあおりを思いっきり食いました。「ネットは儲からないから投資しない」ということで、どの会社も及び腰になった頃と本格的に会社を拡大したときがバッティングしちゃったので・・・。しかしmixiの笠原君とかは、そんなことは関係なく地道に手堅くやってます。本当にレスペクトします。大学2年のときにほりえもんの紹介で「後輩で面白い子がいる」と言われて会ったときには、まさか将来こんな大社長になるとは思ってもみなかったり・・
話が飛びました。
この電子書籍とやらは、ネットがもう生活から切り離せないように、3年後には生活の一部になっていると確信します。そんな予感がびしびしとしまして、もう一回始動しようと冬眠から醒めてみました。でも会社は大きくしません。地道に硬く、ロングテールでやります。このブログも自分でインストールしたんです(自慢げ・・レベル低ッ!!)。